Fu-Ko-Q Present

arataxia〜風の紅き丘の上〜

Live 1

 グレーの研削された石が穏やかな太陽の光を反射している。広々とした芝生の広場に均等に並べられたそれらの一つ、その石の前に在る黒い二つの人影だけが酷く異質に感じられた。彼らの眼下にある墓石の上には真っ白なトルコギキョウの花束が置かれ、その優しげに開いた花弁が言葉無く見舞う二人の気持ちを表しているようだ。
 その墓石の前で、彼女はじっと立ち尽くしたままだった。
 どれだけ死者の名が刻まれた平たい石を見つめようとも、墓石の下に彼女の欠片すら眠っていない。そのことは、彼女の墓前に立つ女が誰よりも良く知っていた。



 ────Natarle Badgiruelナタル バジルール



 墓石に刻まれた彼女の名をただ見つめながら、マリュー・ラミアスは意思の強そうな瞳を悲しげに揺らす。
 もうダメだと思った瞬間目の前で掻き消えた光、誰よりも大切な彼を失った喪失感、心のどこかで信じ続けていたナタルの裏切り───それも、彼が生きて帰って来た今となってみれば、あのローエングリンを撃ったのが彼女だったのか、それともナタルの隣にいた爬虫類のような男、ブルーコスモスの盟主でもあったムルタ・アズラエルの一存だったのか、マリューに知る術は無い。
 だが、ムウは生きていた。
 失ったと思って引いた引き金を今になって無かったことになど出来ないけれど、彼女を殺さずに済む道は本当に無かったのかと、マリューは思わずにはいられなかった。

「俺、さっきのカフェに行ってるな」
「───えっ!?」

 意識を過去に飛ばしていたマリューは、黙って側にいてくれたムウの言葉で弾かれたように振り向いた。

「さっき飯食ったカフェ。
 話したい事がいっぱいあるんだろ? マリューの気が済むまで、俺はそっちで待ってるからさ」
「ムウ……」
「俺のことは気にするなよ」

 言いながら彼は背中を向け、ひらりと右手を振って歩き始める。マリューはそんな彼の背中が小さくなるのをしばらく見つめていたが、彼の優しさで凍っていた心が溶けるのを感じ、再びナタルの墓前へと向き直した。
 乾燥防止のためなのだろう。花屋がほんの少し吹き付けてくれた水分が、白い花をキラキラと美しく輝かせている。派手なものが苦手で、軍規に縛られることでしか自分らしさを保てなかった彼女の為に選んだトルコキキョウ。華やかでもなければ彼女のように凛とした花ではないけれど、軍という枠から解放された彼女の部屋に、まるでパニエの様に可憐な花が飾ってあったらいいとマリューは思う。

「お久しぶりね、ナタル。
 戦場で無い何処かがこんなところで、とても残念だけれど───」

 宇宙そらに散った彼女に意識を向けながら、マリューはそんなことを口にしていた。



◆◆◆◆◆



 ────シュー…………ッ

「!」

 目の前でけ激しく噴出している蒸気に気付き、マリューは慌ててガスを止める。どれほど物思いに耽っていたのか、小さめのケトルに並々と沸かしたはずのお湯は、三分の二ほどになってしまっていた。それでも、部屋へ長旅の荷物を運んでくれたムウと二人、お茶を飲むには十分過ぎる量のお湯が残っている。
 それを予め用意していたティーサーバーに入れると、砂時計をひっくり返してトレイを持ち上げた。

「これでよしっと」

 寝室に行ったきりの彼が言い出したはずの旅行。それが、思いがけず自分にとってこんなにも大切な旅になるとは、マリュー自身思ってはいなかった。
 人間とはこうも欲張りになっていくものなのだろうか。ムウが、生きていてくれた……それだけで十だと思っていたはずなのに、いざ戦没者慰霊碑の前に立ち、戦友だった者の墓前を訪れると、それは大きな間違いだったと思い知らされる。
 彼が生きていてくれたという事実があまりにも大き過ぎて、マリューは自分の奥底に眠っていたそれ以外の気持ちを認識することが出来ていなかっただけ。その事実に自分自身が一番驚かされながら、心構えも何も無かった彼女の旅は、混乱した気持ちを抱えたまま終わりを告げたのだった。
 トレイを持って廊下へ出ると、ムウが開けて行ってくれたのだろう。窓から入り込む南国の風がマリューの長い髪をゆらしていった。
 ゆっくりと向かった寝室のドアも同じように開け放たれ、突き当たりの窓に寄り掛かったまま海を眺めるムウの背中を見ることが出来る。その姿に心の底から安堵して、マリューは寝室へと半歩足を踏み入れた。

「──────」

 彼の名を呼ぼうと開かれたマリューの唇は、しかしその発音を紡がないまま止まってしまった。
 優しい風に美しい金髪を揺らされ、暖かな日差しが彼を包んでいる。そんな寝室の、穏やかなずの風景が、マリューには何故か悲しく感じられた。ムウの眉が険しく寄せられて、何に想いを馳せているのかが手に取るように伝わってくる。

「ムウ?」

 明るく声を掛けるはずだった彼女の声は、彼を案ずるそれへと変わってしまっていた。
 しかし驚いた様子も無く振り向いた彼の笑顔はいつもの穏やかなもので、それが返ってマリューの気持ちをザワつかせる。

「あれ? もうお茶淹れてくれんだ。スマンスマン」

 軽口を叩きながらもこっちへ来る様子のない彼を見て、マリューは寝室へと足を踏み入れた。

「そんな長い時間海を見ていたつもりは無かったんだけどな」
「いいのよ。今日は私もゆっくりしたいもの」

 そう、そんなことは些末事だ。
 マリューはトレイを寝室にある小さなテーブルの上に置くと、ムウが寄り掛かっている小窓へと歩いていく。

「───気持ちいい」

 吹き込んでくる風に揺れる自分の髪を押さえながら、マリューは見慣れたはずのオーブの海を臨む。大小さまざまな島から構成されるこの国特有の景色が目の前に広がっていた。白い砂浜に続いている小道、その更に先を辿れば岸壁の上に建つ誰の物とも知らない別荘らしき屋敷が見える。穏やかではあるが、岸壁に打ち付ける波の音と、砂浜に満ちては引く潮の音がこんなにも心地いい。
 懐かしさすら感じるほど親しんだこの国の風景に、なんとなく彼が海を見ながら物思いに耽っていた理由が解ってしまった。

「───ひゃッ!」

 第二の故郷とも言えるオーブの景色に見惚れていると、突然腕を掴まれ抱きしめられる。余りにも突然だったため、マリューは思わず悲鳴にも似た声を上げてしまった。

「ム、ムウ?」

 旋毛つむじの辺りに感じる彼の吐息に戸惑いながら、慎重に彼の出方を伺う。
 考え込み易い自分を案じて、ムウがこうして抱きしめてくれることは今までもよくあった。その度に怒らされたり照れさせられたりして、何度も心を軽くしてもらっていた。
 彼は自分自身を良く知っている男性ヒトだったから、彼の罪を聞いた時も、彼の後悔を教えてもらった時も、マリューはただそれを全て受け止めるだけでよかった。

「いい、匂い………」
「──────────」

 ほんの少しだったけれど、鼻に掛かったようなムウの声が降って来る。それで、寝室で後姿を見た時の自分の予感が正しかったことを、マリューは確信させられた。
 自分に心配かけまいと、ムウが普段から明るく振舞ってくれていたことはマリュー自身も良く解っている。こんなに弱気な彼を見るのは、コロニー・メンデルの研究所でクルーゼとムウの父親との関係を知った時以来かもしれない……。

「大丈夫、大丈夫よ」

 あの時は、負傷していたムウを抱きしめてあげることは出来なかったけれど、自分を抱きしめることで襲ってくる後悔と真っ直ぐに向かい合っていられるのなら、彼女にとってそれほど幸せなことはない。
 出来る限り優しく彼の背中で一定のリズムを刻みながら、マリューは自分が彼の支えになれている喜びに浸っていた。

「マリュー……」

 そうする自分に彼が何を思っているのかまでは解らないが、今回の旅で一番辛かったのはムウのはずだ。空白の二年間を埋める為に出た旅の先で、どれだけ複雑な思いがあったのだろう。
 それだけじゃない。ネオ・ロアノークとして利用したたくさんの命───その事実は、一生を掛けても消えない傷なのかもしれない。
 ナタルの墓の前で動けなくなったあの瞬間ときを思い出して、マリューもムウの体温に救われていた。
 その体温が自分から少し離れるのを感じ、マリューはムウへと視線を移す。彼女を見下ろすムウの表情かおは、戦場で見せるような険しいものではなかったけれど、いつも自分に向けてくれる優しい笑みは消えてしまっていた。
 その整った顔が近づいてくる気配に、マリューは無意識に瞳を閉じる。

「ん」

 重ねられた唇から吐息が漏れる。
 最初は優しく触れただけ。でも、彼がそれで自分を離してくれたことなど一度もない。初めての時も、帰って来てからもずっと────

「ふ……ッ、んん!」

 その強引な唇に最初はいつも慣れなくて、マリューは羞恥心から苦しそうな声を上げてしまう。

 ────じゅ、くちゅ

 抗議の声をあげようとしたマリューの口内にムウの舌が侵入し、唇の感触だけでなく唾液までも味わうように彼女の舌を蹂躙していく。

「あ…む、ふぅ……んむッ」

 わざと音を立てるように舌を絡ませる彼の口付けに、マリューは次第に飲み込まれていく。
 ムウにこうされることを、彼女はいつも心のどこかで望んでいるのかもしれない。なかなか素直に躰を開けなくて、彼の強引さに甘えることでしか自分の性欲を引き出せない。そんな自分を良く知っていたから、ムウの力強い腕に心地よさを感じて、それ以上を求め始める自分がいる。
 しかし、突然彼の熱が離れてしまう。どうしたのかと潤んだ瞳で見上げると、お互いの唾液で濡れた彼の唇が視界に入った。
 彼も自分とのキスで欲情を掻き立てられているのだろうか。少し憂いを感じる瞳で見下ろす彼を、マリューは色っぽいと思った。

「びっくりしたか?」

 だがその空気は勘違いだとでも言いたげに、ムウはマリューから体を離して笑顔を作る。彼にキスをされた時より、今の方がずっと驚かされている自分がいた。


 ────やっぱり、おかしい。

 いつもだったら何かと無理矢理な理由をつけて彼女の躰を求めてくれるムウが、それをしないことも。時間も自分がお茶を淹れてることすら失念して海を見ていたことも。何かに耐えるように自分を抱きしめたことも。悲しそうな顔をしたと思ったら、笑顔になってしまうことも。
 『先の戦争を、自分の中で終わらせたい』と言い出して行った旅の先で、彼が何を思って何を終わらせられたのかは解らない。でも、ナタルと再開した時の自分の気持ちを思えば、彼の抱えているものが小さくないことくらい、自分でも解るのに────

「さ、せっかく淹れてもらったお茶でも飲みましょうかね………っとぉッ!?」

 全くの無意識だった。気が付いたら背中を向けたムウに飛びついて、ベッドの上に押し倒していた。鼻の奥がツンとする。目頭まで込み上がって来ていた熱をぐっと堪えながら、マリューは再び取り戻したムウの体温を額に感じて、思わずホッとさせられる自分を殺していった。

「あーっと……………押し倒されるより、押し倒す方が好きなんだけどな。俺」

 それなのに、まだ軽口を叩こうとするムウに怒りが込み上げる。一度堪えた涙が再び込み上げそうになるのを、ムウのシャツを握り締めることでやり過ごした。
 悔しい。自分は、始めて会った頃からずっと支えられて来たというのに、彼は大切な時にでも強いままで、こんな時ですら自分のことを守ろうとする。そんな風にしかムウが振舞えない原因は、マリュー自身にあるのではないかと思ってしまうほどに。

「……………どうした?」
「そんな風に、一人で抱え込まないでよ」

 ムウの一言で、マリューの堰き止められていた気持ちが溢れ出す。

「私が居るんだから…………一緒に先のこと考えようって、貴方が言ったんじゃないっ」

 そう、一緒に。辛かったことも苦しいことも、楽しみなことも嬉しいことも、過去も未来も全部ひっくるめて共有していきたいと。彼が生きている今なら、そんなマリューの夢を簡単に叶えていける。
 彼の顔からはいつの間にか笑みが消えていて、真剣に彼女を見つめてくる瞳を、マリューは涼やかだなと思った。
 その瞳に惹かれて、マリューは体をずらしてムウの唇を奪う。羞恥とか建前とか、そんなのはどうでもよかった。今、こんなにも心を弱らせてしまっている彼を抱きたい。傷の舐め合いとかじゃなくて、似た痛みを知る者として、何より一緒に生きていく者として、そうしないといけないとマリューは思った。
 重ねた唇はそのままに、ムウのシャツのボタンを外していく。

「な、ちょ……っ!?」
「黙って。お願い…………」

 唇の隙間を使って声を上げたムウを制し、これ以上何も言わないでとばかりに舌を捻じ込んだ。
 自分が彼にそうされた時必ず一瞬の躊躇があるけれど、すんなりマリューの舌を受け入れてくれる辺りがムウらしかった。

「ン………ぅん」

 自分がするはずが、いつの間にかムウに主導権を握られそうになったキスに焦ったマリューは、肌蹴させた胸元にスルリと手を滑り込ませる。
 逞しい筋肉の感触となぞった先に、ムウの肌質とは全く違う感触がマリューの指に触れる。それが彼が自分を守ってくれた証で、一度生死を彷徨った彼が今生きているという証でもある。その傷が愛おしくて、マリューは覚えている傷の形の通りにゆっくりと指を滑らせた。

「……………ッ!」

 マリューの胸の下で、ヒクリとムウの躰が硬直する。傷をなぞっていたマリューの指が、ムウの胸元に触れたのだ。

「─────」

 こんなに敏感なムウを見るのは、もしかしたら始めてかもしれない。彼の躰に愛撫をすることは今まで何度もあったが、指が掠っただけで四肢に力を入れるほど過敏に自分の与える感覚を感じてくれていることが、マリューの気持ちを高揚させた。

 ────ちゅ、じゅ、くちゃ

 乳首に触れた指を優しく痙攣させながら、マリューは自分の唾液を飲み下すことはせず、全てムウの口内へと流し込んでいく。そうして奏でられる水音に自らも興奮させられながら、マリューはムウの口元から溢れた唾液を取り戻すかのように舐め取った。
 そうして目の前に見えるのは彼の形の綺麗な耳朶。いつも彼がそうするように、マリューは二人の唾液でどろどろになった舌を、耳朶に向かって這わせていく。

「………っ、ぅ」

 倒れこんだ時から背中に添えられていたムウの右手が、マリューのシャツをぎゅっと掴む感触が嬉しい。自分が快感に耐えられずシーツを掴むように、ムウも自分の舌で、指で、熱で感じてくれているのだ。
 そんなムウのことを、マリューは『かわいい』と思った。

「声………我慢しなくてもいいのよ」

 意図的に耳に息を吹きかけながら、かわいくなってしまった彼を諭す。

「いくらいいと言ってもらえてもな、こればっかりは聞けないぜ」

 しかし、ムウの口から帰って来たのは意外な言葉だった。いつも自分の声を聴きたがるのだ。自分が声を出したい時くらい、我慢しなくてもいいのにと不思議に思う。

「あら、どうして? 私の声はどんなに嫌って言っても聞きたがるのに」
「当たり前だろう、そんなの!
 ………男の喘ぎ声なんて、気持ち悪くて俺が萎えるっての」

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