風呂ドキ SS-01



 賑やかだった夕食も終わり、それぞれが自室や己の家へと帰宅した頃……俺は、いつも通り一日の疲れを流すために風呂場へと向かった。
 この時間になれば全員が風呂を済ませてるし、後は俺一人の時間というわけだ。夜の静寂の中、一人でこの屋敷で暮していた時間を思い出す。廊下で足を止め中庭を見れば、離れにはいくつかの灯りを見る事が出来る。そこには確かな人の温かさがあり、でもそれだけじゃなくて、遠坂凛というどうしようもなく大切な存在がそこに在るのだ。
 そう考えただけで、俺は自分の顔が緩むのを感じた。
 さて、今日もよく働いた。明日の為に、とっとと風呂を済ませて早く寝よう。
 再び風呂場へ向かって歩き出す。その一連の動作でドアノブを回し――――

「え」
「あ」

 さっき脳裏に浮かべた人物と鉢合わせした。

 ――――バタン!!

 身の危険を感じ、脱衣所のドアを急いで閉める。
 鼓動が早い。頭に血が上る。一体俺は何を見たんだ?
 脱ぎ掛けだった赤い上着、透き通るような白い肌、見えかけていた二つの膨らみを覆うための下着……一瞬だったはずなのに、それらが脳内を駆け巡っている。
 しかし、いくつもの死線を潜り抜けてきた俺は、危機管理能力がアップしているのだ!ドアの向こうで遠坂の魔術刻印が稼動し始める気配。このままでは、衛宮家の風呂場に壊滅的被害が……っ!

「と、ととと遠坂っ!こ、これは決してわざとじゃ」
『えーみーやーくーん』

 遠坂の声色が赤いあくまのソレになっている。くそっ…言い訳もさせてもらえないのか!

「不可抗力だ!謝るっ!俺が悪かった!!だって知らなかったんだ!いつもならこの時間になれば皆風呂なんて済ませて自室に戻ってるし、それに…っ、その………」

 言ってる最中にガンドを喰らう覚悟で捲くし立てる。我ながら情けないが、遠坂を静める他の方法が思いつかないんだから仕方ない。このまま無言で逃げたらもっと酷い目に……いや、それは考えちゃいけない。

「あぁ、もう本当に悪かったから、ガンドだけは勘弁してくれーっっ!!!!!」

 廊下に俺の悲痛な叫びが木魂した。
 ぎゅっと目を閉じ、遠坂からの返事を待つ―――が、彼女からの返事は無く、廊下には再び夜の静寂が訪れていた。
 あれ?俺は何か取り返しの付かない事をしてしまったのだろうか。
 恐る恐る体の緊張を解く。

「………とお、さか?」

 何も言ってもらえないのは、逆に怖いのですが。遠坂さん。
 ドア越しに中の様子を伺おうと、そっとドアに近づいた時だった。


『一緒にはいる?』


 ――――はい?

 ドア越しに聞こえた恥ずかしそうな声。それは、紛れもなく遠坂の声だった。
 何を言われたのか一瞬分からなくて、頭の中でさっきの言葉を繰り返す。
『一緒にはいる?』
 ……えーと。何の冗談でしょう、遠坂さん。

 確かに俺達は何度も床を共にして、いわゆる肌を合わせることをして来ている。
 でも、風呂だぞ?
 明るいんだぞ?
 遠坂凛だぞ?
 さっきのお腹だけでどうしようもなくドキドキさせられるのに、そんなことしたら俺は自分を抑える自信なんて無いぞ?
 っていうか、そんな声で言われたらどんな顔して言ってるのか想像しちゃうじゃないかっ!!

 そこから一歩も動けずにいる俺の耳には、ドアの向こうから服の擦れる音が聞こえている。妙な汗がじわじわと溢れ出す。遠坂……本気なのか?

『……士郎、いいわよ』

「っ!」

 遠坂の声にビクッと体が跳ねた。
 思考回路は完全におかしくなっているはずなのに、俺の手はドアノブにきちんと伸びていて、それを開けるための動作を正確に行っている。無意識ってすごい。

 ――――がちゃ

 最初、正直冗談で言ってるんだと思ってた。でも、脱衣所に立っていた遠坂はバスタオル一枚というとんでもない破壊力を持った姿で、彼女が冗談なんて言ってないということを物語っていた。
 タオルがずり落ちない様に胸元に添えられた手、恥ずかしそうにチラチラと目を合わせる仕草。反則だろう……それは!

「べ、別に一緒に入るだけなんだから!変な事とかしたらダメなんだからねっ!」
「わ、わかってるって」

 やっぱりか……。内心ガクッと項垂れる。予想通りとは言え、かなり酷なことを言ってくれる。俺は、遠坂の方をなるべく見ないようにしながら、後ろ手で脱衣所のドアを閉めた。
 それにしても刺激的だ。直視しないように気を付けているのにも関わらず、すらりと伸びた手足や腰のライン、それに完全に出されてしまっている肩なんかが、否応無しに視界の隅に飛び込んでくる。
 どうしていいか分からず固まっていると、遠坂も同じなのだろう。所在無さそうにもじもじと変な動きをしている。

「士郎、その……脱がないの?」
「あ。そ、そう、だな」
「じゃあ私、後ろ向いてるから…」
「あ、あぁ」

 遠坂が俺に背を向ける。
 だが、後ろ姿だからと油断したのがいけなかった。彼女が完全に向こうを向いたのを確認するために直視してしまった遠坂は、むしろ前から見るよりも扇情的だった。
 背中から腰、そして足までの女性的なラインが、ぴったりと巻かれたバスタオルによって綺麗に浮き出ている。そればかりか――――あぁ、一番の違和感にやっと気付いた。遠坂は髪をアップにしていて、俺は彼女のうなじに釘付けになってしまったのだ。
 細い首にまとめ切れなかった髪がまとわりついている。遠坂の生足もそうだけど、どうしてこう普段見られない部分というのはより魅力的に感じるのだろうか。
 遠坂の左手が、優雅な動きでまとめ切れなかった髪を耳に掛けた。もう遠坂から目を離すことが出来ない。

「―――遠坂」

 遠坂ごめん。俺、約束を守れなかった。
 気が付くと俺は、後ろから彼女を抱きしめていた。俺の腕にすっぽりと収まってしまう細い肢体。このまま加減せずに抱きしめたら折れてしまいそうで、彼女を抱きしめる度にその強さとは裏腹の女性の部分を感じずにはいられない。
 手が触れている柔らかい肌の感触や、鼻をくすぐる遠坂の匂い。このまま彼女を振り向かせてキスをしたら――――

 ―――バキィッ!!

「―――が…っ」

 その妄想を行動へ移す前に俺は、遠坂のベアナックルを喰らっていた。
 いつの間に俺の腕を解いたんだ……遠坂。

「士郎のばかっ!」

 言い捨てると遠坂は、バスタオル一枚という格好のまま脱衣所を出ていってしまった。
 殴られた左頬を抑え、呆然と閉められたドアを見つめる。そして、湧き上がってくる自己嫌悪。

 ―――やってしまった。

 後悔先に立たず。遠坂が一体どんな気持ちで一緒に入ろうと言ってくれたのかは分からない。だが、あの照れ屋でそういうことには奥手な遠坂があんなこと言うなんて……きっと、とんでもなく勇気を出してくれたんだろう。
 それなのに、俺は……。
 もそもそと自分の服を脱ぐ。早く風呂に入って、遠坂にも入ってもらわないと。男の風呂は時間が短い。ちゃっちゃと済ませれば、ほとぼりが冷めた頃に遠坂に風呂を勧められるだろう。俺の後なんて嫌かもしれないけど。

 ―――ざぱぁ

 全部洗い終え、軽く湯船に浸かる。左頬がジンジンと痛んだが、俺の頭の中には遠坂のさっきの後姿が何度もフラッシュバックしていた。あんなの―――遠坂がかわいすぎるのが悪いんだ。
 そんなのはただの責任転化だと分かっている。それでも、そのくらい遠坂はかわいかったんだから、仕方ないじゃないか。

「………はぁ」

 風呂の気持ちよさも手伝って、自然と溜息が零れた。
 さて、早く出ないと逆に遠坂の怒りを増長させてしまう。
 湯船から出ようとして腰を起こしかけた所だった。

 ―――がらがらがら

「?」

 風呂場の扉が開き、熱気が外へと流れていく。視線を移すとそこには、さっきの格好のままの遠坂がいた。

「―――っ!と、遠坂!?」
「や、やっぱり…一緒にはいってあげてもいいかなって、思って」

 ――――はい?

 今日の遠坂は本当にどうしたんだ?俺の知らないところで、何か変なものでも食べたんだろうか。それとも、魔術の失敗でどこかおかしいのか?

「は、入るわよ!」
「うわぁっ!」
「……なによ、迷惑?」
「そっ…そんなことは、ない、けど」

 どこに攻め込もうとしているのかという表情で、遠坂が風呂場へと足を踏み入れる。
 相変わらず手は胸元でタオルを掴み、絶対防御の姿勢は崩していない。
 しかし、遠坂が桶を取ろうとかがんだ瞬間、必然的にタオルの長さが足りなくなり―――だめだ……やっぱり直視できない。
 上がろうと思っていたところに不意打ちの攻撃。すっかりのぼせてしまった俺だったが、この状態で風呂を出る訳にはいかない。男にだって色々と事情があるんだ!
 あるんだ、が……さっきの後悔が頭を過ぎる。今度は何としても遠坂の意を汲んでやって、機嫌を損ねないようにしないといけない。  これは、俺にとって試練なのだ!……何の試練かはよく分からないが。

「士郎、端に避けてくれる?」
「あ、あぁ…」

 さぁ、第一関門開始だ。
 俺は、湯船の端に背中をくっつけ、リラックスさせていた足を自分の方へ寄せる。いわゆる体育座りという格好だ。

「……違うわよ」
「はい?」
「士郎の背中の方を空けて」

 こっちこっちと遠坂が手で方向を指示する。
 体育座りのままずりずりと湯船の中を移動して、言われるがままに背中にスペースを空けた。

 ――――ざぱぁ………ぴと。

 待て。今の背中に当たった感触は……生肌!?

「と、遠坂…お前っ」
「こっち向いたらダメなんだからね!」
「いやっ!タオルはどうした、タオルは!?」
「だって、湯船の中にタオル入れたりしたらいけないんだから」

 いやいやいや何を家のお風呂でこだわっているんですか遠坂さん!
 つか、この状況でもそんなこと言うか!?お互い裸のまま、狭い湯船の中で背中をくっ付けている状態だ。無理だろう!?無理だろう遠坂っ!!!

 ――――ちゃぷん

 遠坂の指がお湯を撫でているのだろうか。お互い無言になってしまった風呂場に、水音だけが響いて消える。
 しかし、俺の心臓は悲鳴を上げている。
 後には全裸の遠坂がいて、俺達はいま同じ湯船の中だ。背中の感触で遠坂の息遣いまで分かってしまうこの距離で、俺は遠坂に触れるだけでなく、その姿を見る事も許されてはいない。
 ドクドクと心臓が忙しない。お願いだ遠坂、何か言ってくれ。じゃないと、俺―――

「ねぇ士郎。こうしてると、あの日を思い出さない?」

 ドクン。
 それは、あの日―――赤い弓兵に裏切られ、教会の墓地で星空を見上げたあの夜の事を言っているのだろうか。

「士郎の言い方には参ったけど、あれで私、自分の気持ちに気づけたのよね……」

 ドクン。
 この状況でなんてことを言うんだ、コイツは。
 そんないつもは聞けないようなかわいいこと言われたら、せっかく抑えてきた欲望が溢れ出すに決まってるってのに。

 ――――ざばっ

「きゃ……んっ!」

 俺は振り返り、遠坂の肩を掴むと無理矢理こちらへ振り向かせる。そしてそのまま、遠坂の唇を塞いだ。