Fu-Ko-Q Present

arataxia〜風の紅き丘の上〜

private 2.14-02

 さすがに3年生で登校している者は全員ではなかったが、それでも下級生たちの盛り上がった雰囲気はこちらにも伝わってくるし、卒業間近に控えた先輩に告白しようと3年生のクラスに訪れる後輩も少なくは無かった。
 受験が全て終わっていない生徒たちもまだいるだろうに、今日ばかりは出席率が良く、学校全体が活気付いてるようにも感じられる。昼休みともなると女子生徒が男子生徒を呼び出したり、同じクラスで付き合ってる子たちは放課後の予定で持ちきりだ。
 まぁ、当然独り身の連中には関係ないイベントなので、いつも通りの者はいつも通りなんだけど。一部、誰かが呼び出される度、微笑ましい二人に恨めしそうな視線を送るのはどうかと思うわ。
 そんな風に人間ウォッチングを楽しみつつ、私は士郎と一緒にお昼を食べようと、お弁当を持って席を立った。

 教室を出ると、昼休みらしい喧騒が学校全体を包んでいた。話し込んだり、食事を買いに行く人の間を縫って屋上の階段がある場所へと向かう。士郎とは特に待ち合わせをしているわけではないが、生徒会の手伝いがある時は必ず報告に来ていたし、いつの間にか一緒に食べることが暗黙の了解となっていた。
 廊下の先、人と人との隙間に特徴的な赤毛の少年が目に入る。片手を挙げ、「士郎」と声を掛けようとして、私の体はそこで止まってしまった。
 士郎の目の前、雰囲気からして一年生だろう。士郎の顔を見ることも出来ずに俯いたまま真っ赤になって、その両手で持った小さな箱を士郎に差し出していた。

「────」

 チリ、と胸の奥が焼けるイメージ。
 朝から感じていた違和感、そして心の波が激しくなる。
 困ったように照れた横顔には拒絶の意思は無く、チョコレートを差し出す彼女を思いやろうとする空気がこんなに離れてる私のところまで伝わってきてしまう。
 判っていた。士郎は優しすぎるから、その優しさを勘違いされたり、自分を受け入れて欲しくなってしまうこと。それが、自分だけでは無いことに。
 今、自分がどんな顔をしているのか検討もつかない。挙げかけた腕を下ろし、私は屋上へ向かう階段に背を向ける。
 その日、私は屋上へ行くことが出来なかった。


「遠坂、昼はどうしたんだ?」

 案の定というか当然というか、放課後になると士郎が私のところまでやって来た。
 昼休み中は士郎から逃げるように自分のクラスへは戻らなかったし、私を捕まえるにはもっとも効果的な時間といえる。

「あぁ、えっと、ちょっと用事を頼まれて……」
「いつもなら一言声かけてくれるからさ、心配したんだぞ」

 周りに人がいるとかいないとか、そんなことはお構いなしに臆面も無くそう言い放つ。
 言われてるこっちが恥ずかしいのだが、なんとなく今日は嬉しさの方が多い気がした。

「ごめんなさい。待ってるかなーとは思ったんだけど、言いに行く暇もなかったのよ」
「そっか。そういうことなら仕方ないよな」

 この朴念仁は私の嘘になど気付かないだろう。昼休み、黙ってすっぽかした私をあっさり許し、朝よりも少し膨らんだ鞄を持ち直した。

「じゃぁ、帰るぞ」
「今日は生徒会いいの?」
「一成がそれどころじゃないからな」
「なるほど」

 教室を出て家路に着く。
 私にはとことん態度の悪い柳洞くんだが、それを除けば彼ほど生徒会長に相応しい男はいないと私も思う。生徒から人望が厚ければ、当然人気もあるというもので、軽い感じの慎二が好みじゃない女の子たちの人気を一身に集めるとしたら柳洞くん以外考えられなかった。
 慎二の周りに集まる女の子たちは軽いノリの子が多いだろうが、柳洞くんの性格だ。一人一人がそれこそ真剣で、それに誠心誠意答えている真っ最中に違いない。

「────」

 と、思ったところで、昼休みに士郎と一緒にいた女の子の姿が思い出された。
 一生懸命で可愛くて女の子らしくて、私から見ても守ってあげたくなるような女の子。

「士郎」
「なんだ?」
「今日は、士郎の家に泊まるから」
「な────!? 遠坂っ! 学校でそんなこと……!!」
「誰も聞いちゃいないわよ」

 私だってそんな馬鹿じゃない。場所は既に校庭まで来ていたし、部活をしてる生徒からは遥か離れていることを確認しての呟き。
 今日は朝からそのつもりだったんだから、これでいいはずだ。鞄に忍ばせたままのチョコレートを渡せば、私のこのもやもやも晴れる気がする。
 でも、私の脳裏に描かれてた士郎の照れた笑顔は、ほんの少しだけ霞んでしまったようにも思えた。


†       †       †



 夕食をみんなで済ませ、それぞれお風呂にも入った。
 私は自分の部屋で、今夜の準備を整える。それは、鞄に閉まっておいたチョコレートの包みを取り出し、机の上に置くだけだったのだが、この後士郎を迎えに行って、誰も邪魔の入らない私の部屋でこのチョコレートを渡す。ただそれだけのことなのに、渡す瞬間を想像するだけで、なぜか心臓がバクバクと五月蝿く跳ねてしまっていた。

(ちゃ、ちゃんと……好き……とか言った方がいいのかしら)

 そう、このチョコレートを渡して、“私は”どうしたかったんだろう……なんていう初歩的な事に、私は今頃になって直面していた。
 私の想いは伝わっていると思う。なんだかんだで恋人らしいことをしていないわけじゃないし、士郎がロンドンへ一緒に来るということは、ずっと私の傍にいるという誓いみたいなものでもあるし。
 何より、私は士郎を手放す気なんてこれっぽっちもないし。
 綾子に言われて、ただ士郎の笑顔が見たくて作ったチョコレート────それが今は、自分の気持ちを押し付ける為だけの道具にしか見えてこない。

「……ごちゃごちゃ考えても仕方ないわね」

 時間は待ってくれない。2月14日という日付が変わる前に、これを士郎に渡さないと。
 もやもやした気持ちのまま部屋を出て、士郎がいるはずの居間へと向かう。
 当番だった桜はまだ台所で片付けをしてくれてるみたいだったけど、それもそろそろ終った頃だろう。
 二人で桜を見送って、そのまま私の部屋へ呼んでしまえば、自ずと答えは出る気がしていた。


 居間へ向かう廊下へ差し掛かると、士郎と桜が話す声が聞こえてきた。どうやら片付けは全て終わり、お茶でも飲んで休んでいるのだろう。
 深く考えず、私は居間の襖を開けた。

「桜、まだ帰らないの───」
「遠坂先輩」
「あ、遠坂。みてくれよ、これ」
「!」

 衛宮家の広いテーブルの上、大きな白いお皿にデコレートされた見た目も美しいチョコレートケーキ。

「片付け終わって桜が出して来てくれたんだけど、凄いと思わないか?」
「そんな。私なんてまだまだ……」
「やっぱり、お菓子作りは桜に一生敵わないかもしれないな」
「そんなことありません! 先輩だって普段作らないだけで、作り始めたらあっという間にこのくらい作れるようになっちゃいますよ」

 そう謙遜しながらも器用にそのチョコレートケーキを切り分ける桜を見て、チリっとまた胸の奥が焼けるイメージが沸いて出た。

「遠坂先輩も一緒に如何ですか? 普段お世話になってるお礼です」

 詭弁なんて御免だわ。アンタが士郎に気があったのなんて、私はずっと前から知っていたんだから……
 士郎に褒められ、嬉しそうに頬を染めた桜の笑顔が、今だけは心底鬱陶しい。

「遠坂?」
「えっ? あぁホント。凄く美味しそうね」

 士郎に呼ばれ、笑っていない自分に気付く。どろどろと胸の奥で黒さを増していく想いと裏腹に、それを士郎に気付かれたくないと必死で笑顔を取り繕った。

「…………」
「…………」

 桜と目が合う。ほんの少しだけ切なそうに微笑んだその笑顔は、私に対する遠慮が窺えて、そんな桜の気配りにさえ私は八つ当たりしそうになっていた。

「でも、私はやめておくわ」
「食べないのか?」
「えぇ。こんな時間に甘いもの食べないかーなんて、士郎は私のこと太らせたいの?」
「だって今日はバレンタインデーだろ? こんな日くらいいいじゃないか」
「……っ!」

 まずい。
 このままこの朴念仁に付き合っていたら、桜の前でとんでもない醜態を晒す事になる。

「私、今日はもう寝るから。桜も早く帰った方がいいわよ」
「あっ、はい。そうします」
「遠坂?」
「おやすみ」

 もう上手に笑う余裕も無かった。
 私は士郎の顔も見ずに障子を閉めると、一直線に部屋へと戻った。

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