セイバーに助けを求められた時から、最悪の事態は考えていたつもりだった。
イリヤスフィールが出て行った時も、『これでアーチャーをあの化物と闘わせずに済む』と、心の何処かで酷く安堵した。
なのに、これは何の冗談だってのよ……っ!
階段の踊り場に立つ少女。
その前に降り立った狂戦士。
隣では、立っているのもやっとな金髪の少女が馬鹿みたいな事を言っている。
ここは私が?
ふざけないで。
いくら最強のサーヴァントと名高いセイバーと言えども、今の貴女なんて盾にすらなりゃしないわよ。
でも、ここで逃げきらなかったら、全滅は間違いないわね………。
ねぇアーチャー。
私、最後まで貴方と戦いたかったわ――――――
必ず生き残るから、私の願いを貴方に伝えることにするわね。
「アーチャー聞こえる?少しでいいわ、アイツの足止めをして」
震える声を努めて冷静に変換。命令だけを完結に伝えた。
しっかし外野がうるさい。これしか方法が無いじゃない!
「私達はその隙に逃げる。いい?」
「賢明な判断だ。凛が先に逃げてくれれば私も逃げられる。それに、単独行動は弓兵の得意分野だからな…」
間髪入れずにアーチャーが答える。
そうね、貴方ならきっと、私を見つけてくれるわ。そしたらまた一緒に戦える……。
そんな風に思っても、いいの?
「ところで凛、ひとつ確認していいか」
「―――えっ?」
「時間を稼ぐのはいいが、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
「アーチャー……」
全く、コイツは本当に……。
少しだけ振り返った横顔は自信に満ちていて、この絶望的な状況の中で、私の心に一筋の光を落としていった。
こんなの、私らしくないわね。
心を固めるために瞳を閉じる。体の中で散り散りになっていた意思がそれによって一つになっていく。
目を開いた時、それは貴方と心が一つになる時。
「えぇ、遠慮はいらないわ!」
ありがとうアーチャー。それでこそ、私のサーヴァントだわ。
「では、期待に応えるとしよう」
私から視線を外し、目の前の敵を見据える。どこから来るのか、物凄い自信でアーチャーが応えてくれた。
「やりなさい、バーサーカー!」
「行くわよ!士郎、セイバー!!」
イリヤスフィールの声を合図に走り出した。
もう、決して振り向かないと心に決めて。
バーサーカーを倒して、きっと私の後を追って来てくれるって信じてるから。
◆◆◆◆◆
――――――ドオオォォオオォオン!!!
「今の音は…」
「たぶん、アーチャーが…」
森に入って少しした所で、森が震えあがるほどの爆音が響いた。
士郎と、彼に抱えられる様にして走るセイバーが立ち止まる。
当然アイツと繋がったパスからは、魔力をどんどん吸い上げられていた。
「行くわよ」
振り返らず、私は二人に告げた。
「遠坂っ!」
案の定士郎が抗議の声を上げる。
心配してアーチャーが助かるなら、私は彼の傍に残って信じてない神様にでもなんでも祈ってるわよ…!
「私達は、絶対に逃げ切らなきゃ行けないの…」
分かる?士郎。それが一番重要な事なのよ。
心配なんて走りながらでも出来るわ。
だから今は、とにかく前へ前へ――――
足止めをするのが彼の仕事なら、私達の仕事は少しでも早くこの森を脱出することなんだから。
それにしても全く。本当にあのバーサーカーを倒すつもりなのね。
こんなに遠慮無しで吸い上げられたら、走ることに集中できないじゃない。
でも、立ち止まってなどいられない。
アーチャーが作ってくれているこの時間を、無駄になんてしてたまるもんですか!
必死で走った。
すぐ後に馬鹿な二人の気配を感じながら、森の出口を目指してひたすら足を動かした。
普段から鍛えていたのに、このくらいのことで息が上がる。
口で激しく呼吸している為に喉が簡単に乾いてしまう。
どんどん呼吸は浅くなり、躰が乳酸漬けになって悲鳴を上げる。
それでも前を向いて走った。
後からは私よりももっと辛い状態のセイバーが付いて来ている。
士郎に抱えられ、魔力不足の為に剣士の威厳さえ薄れてしまえば、セイバーは本当にただの女の子だった。
そんなセイバーの申し出を断れるわけないじゃない!
私のそんな甘さの所為でアーチャーを一人残すことになっても、私は士郎を見捨てる事が出来なかった。
不器用で、甘ったれで、頭が固くて、でも真っ直ぐで。
とっても似通ったこの二人を、守ってあげたいと思ってしまった。
これは私の心の贅肉。
そんなことで自分のサーヴァントを置き去りにするなんて、私は本当に馬鹿だ。
天国のお父様もきっと呆れてる。お父様、ごめんなさい。
でも、私は聖杯を諦めたわけじゃないわ。
必ず三人で逃げきって、アーチャーの帰りを待つの。
そして今度は正々堂々セイバーと戦って、私とアーチャーが聖杯を手に入れるんだから。
そう、私達は必ず逃げきってみせる。
だから、だから、だから――――――
――――――ズキンッ
「―――ぅッ、くっ」
突然、右手の呪令が痛んだ。さっきまで吸い上げられていた魔力が極端に減っている。
パスを通して感じるアーチャーの存在すらも、希薄だ。
「遠坂!」
「アーチャーが…」
「まだよ。まだ、アイツは頑張ってる」
二人してそんなこの世の終わりみたいな声出さないでよ!
このくらい、何でもない。
アーチャーの受けている傷に比べたら、こんなのどうってことない。
でも、悲鳴を上げている。
イタイ。
咽が、擦れる。
イタイ。
呪令が、軋む。
イタイ。
そして、心が泣き出しそう……。
ねぇアーチャー。私、貴方と残りたかった。
最後まで一緒に戦いたかった。
だって私、まだ貴方の本当の名前も聞いてないのよ――――――
―――――――――ッ…くっゥぅ!
突然、桁違いの魔力が持って行かれる。
足がもつれそうだ。走っているのが不思議なくらいの略奪。
でも、二人に悟られちゃいけない。
ここで走るのを止めたら、全てが無意味になる。
それにしても、こんな容赦無く奪われるなんて……何したってのよ、アイツ。
考えられるのはただ一つ。
アーチャーが宝具を発動させたのだ。
それにしても、宝具ってやつはこれほど魔力を持って行かれるものなのか。
――――――いいわ。気の済むまで使いなさい。
私は、大丈夫だから。走れるから。
もっと、もっと持っていきなさい。
これなら勝てるかもしれない。
いいえ。
これだけ私の魔力を持っていくんだから、絶対に勝ちなさ――――――
「―――ッ!」
あまりの事に足が止まった。
あれだけ持って行かれていた魔力の流れがプッツリと止まる。
ゴメン、アーチャー。
今だけ。一瞬だけ貴方を想わせて―――
「遠坂……」
士郎の声に応える様に、もう痛みの無い右手を上げると、少しだけ残っていた最後の呪令が名残惜しさも無いかのようにあっさりと消えた。
「まさか…!」
「イリヤスフィールは直ぐ追ってくるわ。急ぎましょ」
怒り。
バーサーカーに対する怒り。
イリヤスフィールに対する怒り。
そして、自分に対する怒り。
憤怒の感情で心がぐちゃぐちゃにされそうだ。
10年間あれだけ努力して来た結果がこれ?
他のマスター助けて、サーヴァントを見殺しにして。
他にもっといい選択肢は無かったの!?
逃げるしか出来ないなんて、なんて無力―――
「おい!」
「早くっ!あいつらに殺されるような事があったら、許さないからね……」
ごちゃごちゃ五月蝿いこのへっぽこッ!!
ぶつけたい怒りをぐっと堪え走り出そうとしたその時、セイバーが限界を迎え…倒れた。
アーチャーはあんなのを一人で相手にして、それでもこれだけの時間を稼いでくれた。
アイツのマスターとして、どんな状況だって必ず切り抜けて、三人で必ず生き延びてみせる。
でも、ほんの少しだけ希望を持ってもいい?
パスが切れただけで、貴方はどこかで存在してるって。
私の元へ帰って来て、貴方の本当の名前を教えてくれるって。
ねぇ、いい? アーチャー――――――
- fin. -